台湾の元総統である李登輝さんがお亡くなりになりました。


97歳の天寿をまっとうされました。


私がよく読んでいるカータンさんのブログでも、去年お会いできなかったとあったので、もうかなり弱っているのでは?と想像していましたが・・・


http://ka-tan.blog.jp/archives/1077634164.html



カータンさんは李登輝さんが総統時代に台湾に住んでおられましたが、私は李登輝さんが引退されて、次の野党党首だった陳水扁さんが総統になられた時で、台湾が中国に飲み込まれまいと国民党(蒋介石が作った党)から民進党政権にかじを切ったころでした。



選挙はそれはそれは盛り上がって、私は何度か陳水扁さんや今の総統である祭英文さんの演説も見たことがあります。


国民党の党首は馬一九さんだったと思います。


当時は民進党に投票しなければ、台湾は中国の属国になってしまう。と周りの人たちはみんな言っていましたが、


李登輝さんが長い間総統であったことは今日台湾が親日であることと深く関わっている。ということはみんな知っていました。


日本統治下で日本の教育を受け、日本の大学に進学し、戦後台湾に戻り、台湾の大学、アメリカに留学した李登輝さんは、


広い視野を持ち、どうすれば台湾が生き残ることができるかということを本気で考え、実行してきた方だと言えます。




 ちょっと長いですが、とても良い記事がありました。






 この記事では民進党政権に代わって中国への経済依存が多くなって・・・と書いてありますが、政治的には国民党のほうが中国に近いと当時は言われていました。




抜粋

台中の日本人学校で講演をしたことがある。99年の大地震で台中日本人学校の校舎が倒壊し、私はすぐにでも何とかしてあげたいと考え、土地を見つけて校舎を建て直した。その後、この日本人学校に招待され、生徒たちを前に日本の統治時代の台湾はどうだったかといったような話をしたのだ。その内容は具体的には、こんなことだった。

 児玉源太郎・第4代台湾総督の民政長官だった後藤新平は、わずか8年7カ月で台湾を「1世紀も違う」ほどの近代的な社会につくり上げ、今日の繁栄の基礎を築いた。台湾を近代化し、経済を発展させるために後藤が最初にやったことは、仕事のできない日本人の官吏1080人を首にして日本に送り返すことだった。よほどの覚悟と決心がないとできないことだ。

 その一方で各方面から有能な専門家を台湾に集めた。その中には新渡戸稲造や、台湾でいまだに神様のように尊敬されているダム技師の八田與一をはじめ、数多くの能力のある日本人がいた。彼らが台湾のために働いたおかげで、現在の台湾があるのだ。

 こういう話をしたら講演後、中学生の生徒代表が、「今日のお話を聞いて、自信が出ました。今までは街を歩くときに、なんだか肩身が狭い思いをしていましたが、明日からは胸を張って歩きます」とうれしそうに言ってくれた。私もうれしくなって、「がんばりなさい」と励ましたことを覚えている。

 終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い日本人は、一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信をつけてあげなければならない。日本人はもっと自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。



皆さん、泣けませんか? (特に韓流ファンのみなさま)

私が李登輝さんに会ったのは地震があって、1か月ほどの時で、学校を視察に来てくださって一緒に壊れた校舎を見て回った。

その時は日本人クラスのある台湾の幼稚園の空き教室を間借りして授業を行っていて、私も子供たちと一緒に旧校舎に行って、
「早く校舎を立て直したい、新しい土地が欲しい。」
とみんなでお願いして、李登輝さんは「わかった。私が土地を用意します。心配しなくていいです。」とおっしゃって、一人一人と握手してくれた。

本当に日本語堪能なんだ~~そりゃそうだ東大だもの。とても背が高く、大きな温かい手だった。

わたしは土地を用意してくれるなんて半信半疑だったが、それから半年もしないうちに新しい土地にプレハブ校舎が立ち、本校舎も1年後くらいに完成した。

私は本校舎ができる前に帰国してしまったので、この記事にある演説は聞いていないけれど、友達からメールをもらったのでよく覚えている。




 こうやって、李登輝さんとの思い出があるひとは世界中にたくさんいると思うけど、それは本当に人のため、社会のために尽くした人だからだと思う。

李登輝さん、ありがとうございました。



わたしもだんだん年を取ってきて、知っている人の訃報に触れることも多くなって来たけれど、

亡くなって惜しまれない、晩節を汚すことがないように、「あんな死に方をして天罰だよね。」なんて言われないように心がけたいと思う。